子育て放棄の資産家家族は、保護者の意味を知らないのか?
<親は無くとも子は育つ>とは、昔の社会の仕組みから出た言葉です。
江戸時代頃の言葉であろうと思います。
昔は、例え孤児になっても、その地域の責任者が親代わりとなって育てる。
組織上、そういう事になっていたと聞いています。
親代わりになる人は、大家さんであったり、隣組の長であったり、、、
子供を地域の大人達が、責任を持って育てる義務を負っていた時代の話です。
<大家さんは親も同然>と、コメディタッチに言われたりしますが、大昔の日本に於いては、それが当たり前だったのだと思います。
困っている人を、地域の住民が手を差し伸べて、お互いが助け合っていたのです。
それが<隣組>と呼ばれていたものだと思います。
子供の虐待を、ニュースで目にする度に、その大人たちの行為に対して、法で裁かれる以上の罰則は無いものかと思い、胸が締め付けられるのです。
子供は、大人が保護し育てる義務は、今も昔も同じなのです。
福祉社会を目指して、政治が動き出しているかも知れません。
が、地域にお節介なおばさんも、怖いおじさんも居なくなり、子供達を大人が育てる気風が無くなってきています。
街を歩いていても、知らない者同士がすれ違い、近所で遊んでいる子供達は、ほとんどが見知らぬ子供達です。
殊、都会においては、それが当たり前の社会になっています。
それでも私は、子供が危険な行為をしていたら注意をし、無理なく手を貸してあげられる人には、手を貸して、その場限りの事であっても良いと思って生活しています。
無理なく手を貸して上げられれば、偽善もなく下心もない交流ができると思っていますが、、、
そんな気持ちを持っていたら、ニュースに出た資産家の家族は、二歳の児を死に追いやるなどと言う事は有りえなかったでしょうに、ほんの少しの気持ちで回避できたでしょうに、、、
まして、血の繋がった家族なのですから、お互いがほんの少し手を貸す事で良かったのに。
=お金があって、住む家があって、人手もある=
一見何不自由なく暮らしているように見える、そんな裕福な家族達は、どんな価値観をもって生活してきたのでしょう。
人間の熟成度は、年齢ではないのですね。
あの資産家家族にも、最初はお互いを思いやる気持ちが有ったと思いたいのですが、、、
いつから、人間としての心を、放棄して生きていたのでしょうか?
やり切れません。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

















