心と体

片頭痛・3月3日の河津桜

長年付き合っている片頭痛の直撃を受けました。

土曜日に、足利に出かけました。

行きの車内で、片頭痛の兆しがあったのですが、薬を持って出なかったので、覚悟はしていました。

昨日一日寝込みました。

最悪です。

私の場合は、左目の外筋麻痺が出てしまいます。

高校二年の夏、甲子園に応援に行った時に初めて起こりました。

以来ずっと、片頭痛との付き合いが有ります。

検査入院して、血管造影剤までして検査をした事もありましたが、治る病気ではなく、命にかかわる病気でもなく、、、、

でも、本人は大変な思いをして過ごします。

投与される薬が強いので、胃薬も一緒に処方して貰いました。

午後になって大分良くなりましたが、左目の眼筋麻痺とはもうちょっと付き合わなければならないようです。

稀に、こんな症状の人がいるそうですが、私自身はこんな症状の人にはお会いした事が有りません。

検査入院をした時に、先生は「他にも、いるよっ。」と言われました。

そして「両目に来る人もいるよ。」と言われた時に

「歩けないでしょ?どうするんですか?」

と聞くと、「入院」と答えられました。

何十年も前にした、私と主治医の会話です。

この時の主治医が、夫の大学の先輩だった為に気持ちが楽だった事を、覚えています。でも、その時の処方箋は、私には当てはまりませんでした。

今は、普通の片頭痛の薬を処方して頂いています。

お医者さんに行った帰り、駅前の河津桜を携帯で写してみました。

080303_12320001 満開の日も間近でしょう。

小鳥も、桜の枝で遊んでいました。

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お化粧は、電車内でするものですよね!?

何時の頃からか、当たり前のように電車の中でお化粧をする女性達。

誰が始めたことなんでしょうね?

でも、何が悪いの?

電車内でお化粧して、誰かに迷惑をかけてるの?

たぶん、そんな言い分でしょう。

先ず、生活の中に褻ぢ目をつけられない女性なんでしょうね。

家を出る前に、きちんと身支度を済ませて出かける習慣がない。

恥じらいがない、緊張感もない。

男性の方が、緊張感があるのでしょうか?

日々の生活の中で、お化粧をする習慣がないからだけなんでしょうか?

電車内で、ひげを剃っている人も殆ど見かけませんし、女性のお化粧の比ではありません。

私が女なので、同性が気になるのでしょうか?

短いスカートで膝を離して座っていたり、着ても着てなくても変わらないほど肌を出していたり、ハラハラします。

物騒な世の中なのに、そんな恰好で大丈夫?

どこかの国では、人前でお化粧しているのは売春婦だそうですから、本当にお気を付け遊ばせ!

日本人の古い小母さんが、小言を言っているだけでは済まされなくなりますからね。

そう云えば、女性の品格について書いた本が話題になっています。

電車の中で、臆することなく<顔を仕上げている>女性は、読んでませんよね!

ベストセラーのようですけど、、、

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病気見舞い

突然の事でした。

染色グループの一人が入院して、手術をすると電話がありました。

脊髄腫瘍の切除をしましたが、まだその検査結果が出ていないのです。

以前、背中が冷えると言っていたことを思い出しました。

私が稽古を休んだ日には、体調が悪いと行って早々に帰宅したと聞きましたが、それから直ぐの入院だったようです。

朝、起きようとしてベッドから落ちて歩けない状態だったと聞いた時には不安でいっぱいでした。

健康には、人一倍気を使っていました。

仲間を作って毎日散歩をしたり、旅行、太極拳と活動的で若々しい人なのです。

どんなに気をつけていても、病気はどこからか迫って来るものだと思い知らされました。

手術後直ぐにリハビリに入り、歩行の訓練を始めていて、間もなく退院とも聞きました。

そんな中

染色の先生から、一緒にお見舞いに行きましょうとお誘いがあったけど、大勢で行っては疲れさせてしまうので、代表して先生と行って来ます。)

Tさんが、電話を下さいました。

(でも、一人だけはどうしてもお見舞いに行きたいと言い、3人で行く事にします。)最終的な連絡でした。

元気になってくれて本当に良かったと思いました。

メールを出すことも遠慮していたのですが、入院以来初めて送ってみました。

<三人でお見舞いに行って下さるそうだけど、無理して相手をして疲れないようにして下さい。>と打ってみました。

間もなく返事が来ました。

[病名もまだ分かっていないし、明日は内科の検査もあるのでお見舞いは遠慮します。今、娘が携帯を届けてくれました。]

ああ、やっぱり。

思った通りの返事でした。

以前に、諸々の話の中で「入院しても、お見舞いには来て欲しくないわね」

そんな事を話した事があったから、、、

辛くて、弱っているところは見られたくない。

そう思うのが、普通でしょうね。

だから、ああ、やっぱり。

また、すぐに返信しました。

<分かりました。今、Tさんに電話をしました。

落ち着いた気持ちで、ご養生してください。元気になってからお会いしましょう。>

[私も、皆さんに早く会いたいです。]と返事が届きました。

お見舞いは、見舞われる人の気持ちを汲んであげないといけませんでしょ。

お見舞いは、見舞う者のエゴであってはいけませんよね。

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母の旅立ち

母が87歳の生涯を全うし、永の旅路に就きました。

父を見送ってから23年が過ぎました。

家庭一筋の母でした。

夫の為、子供の為、孫の為に生きてきた母でした。

最晩年は、緑内障により完全に失明してしまいましたが、我が家の息子が妻を伴って病室を見舞った時には、まだ薄く視力が残ったいる時でしたし、本来のおしゃべりも出来ていました。

ここ一年は声も出なくなり、おしゃべり好きの母には耐えられない日々であったろうと思います。

気丈な母は失明しても、やっと動く右手で食事をしていました。

病気の事もあり、施設にお願いしてありましたが、仕事を持っている義妹が週に3~4日も仕事帰りに寄ってくれていました。

感謝の一言です。

略4年の年月でした。

今年は、母の孫娘が二人結婚しました。

一番年下の孫息子は、大学4年になり就職が決まっています。

母が育てた孫たちの将来を、しっかり確かめて旅立ちました。

生きるべき時間を、全て生き通した感があります。

肉体も、精神も燃焼し尽くしました。

凄いと思います。

<葬儀は盛大にして欲しい>と言い残した母でした。

<盛大に>とは、母らしくないと思いました。

冗談だと思っていましたが、通夜そして告別式を通して母の言い残した<盛大に>の意味が分かりました。

今まで係わったできるだけ多くの方々に、お別れを言いたかったのです。

ご近所のみなさんも、大勢お別れにお出で下さいました。

通夜前日の午後になっても、連絡を取る事ができなかった麻酔医をしている母の甥がいましたが、彼は地方に住んでいる弟と二人で、どうしても参列したいと言う母親をエスコートして来てくれました。

「無理をなさらないでください。」とその叔母に言うと、彼は「率先して、納骨まで行くって言うんです。」

と、叔母の気持ちを伝えてくれました。

我が家の息子も、通夜当日と告別式当日はなんとか参列できると言って、鞄を手に時間と時間を空間と空間を飛ぶように移動してやって来ました。妻も、仕事の関係で通夜にだけ参列しました。そして、初めて会う親戚に挨拶をして回っていました。

内孫でこの10月に結婚した姪は、管理薬剤師と言う仕事柄会社の携帯電話を持ったままでした。

旅立ちの日は、奇しくも一番幼い曾孫の一歳の誕生日でした。

母は、日を選んで旅立ったとしか思えませんでした。

意識不明で入院したと聞いて駆けつけると、弟達は一旦帰宅して誰もいませんでしたが、「お母さん!」と呼びかけると、開かない目を開けようとして声を出しました。たぶん私だと分かって、何か言いたかったのでしょう。

痰を出せずに、苦しそうでしたので吸引して貰い眠るように促しました。

その後、意識は戻らなかったようです。

最後に駆けつけた私を、待っていてくれたのだと思います。

完全燃焼した母の87年の生涯でした。

お母さん、ありがとう

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現代人はビタミン不足(隠れた現代病の脚気に要注意)

月に一度、高血圧症の薬をもらいに行っています。

血圧が高くなり、薬を飲み始めて3年近くなります。

それまでに検診で注意を受けたのは、体重だけでしたので切羽詰った感じはありませんでした。

肥満度(BMI)は25~26が4年位続きました。

平均は18・5~24・9ですから、確かに高いのです。

定期健診時の血圧も150が2年程続き、3年前には170になっていました(あくまでも上の数値ですが、あっ、当たり前ですね)。

さすがに、体調が優れず薬を調合してもらう事にしたのです。

最初に一種類(カプトリルーR)だけ出ました。

変わりませんでした。

もう一種類増えました(コニール錠ー2)。

この薬は飲むとドキドキ感あり、不安な気分が付きまといました。

そこで、もう一種類増えました(アルマール)。

頻脈を改善する薬です。

最少量の調合だそうですが、血圧は安定とまではいきませんでした。

そこで、去年半年で6kg体重を減らしました。

薬を処方して頂くことも、体重を減らす事も、自分の意思で動きました。とは言っても、医師からは「体重を減らして下さい」と言われ続けていたのです。

そして、今年の二月の検診では肥満度は22・1としっかりと標準に納まりました。

体重を落としすぎてもいけないようです。私の場合はまだ余裕はありますが、、、

暫くは、現状維持を心がけようと思います。先生(医師)から何も言われなくなったので、ちょっと休憩です。

血圧も、上が112位に収まっていますので、、、

ところがこの夏は、又問題が発生しました(大袈裟です)。

今年は、身体がだるくて着いて行けないのです。

何に着いて行けないかって?勿論、今年の夏にです。

一ヶ月前に、医師に身体のだるさを訴えると

「だるいと言うのは、なかなか診断が付かないんですよね。一応ビタミン剤を出しておきましょう、それで様子を見てください。」

一週間分のビタミン剤を出してくれました。

一日に3錠を、3回に分けて飲むように言われました。

朝一錠飲むだけで、だるさが取れました。

ですから、それ以上飲むことはしませんでした。

3週間ビタミン剤を飲み、一週間空いたところで又、だるさが付いてきました。ビタミン剤が効いていたのかも、、、と思いました。

先生(医師)が言われるには、「今は栄養失調がなくなったと言いますけど、ビタミンB1不足の方が増えているんですよ。白米に麦を混ぜて食べて下さい。うなぎは、最近中国産が怖いですからね。」

そう言って麦飯を推奨されました。

子供達がいた頃は、必ず麦を一緒に炊き込んでいたのですが、夫が麦を嫌がるのでここ数年は麦飯は炊いていませんでした。

やっぱり<麦飯にしよう>そう決めて、帰りがけにスーパーで麦を買って来ました。

私は、脚気にはなっていないようですが、結構怖い病気なんですね。

大酒飲み、食生活の不規則、インスタント食品ばかり食べている人は要注意です。

因みに、ビタミンB1を含んでいる食品食材は

豚肉、うなぎ、枝豆、おくら、かぼちゃ等だそうです。

因みに、うなぎが嫌いです。肉もあまり、、、

好き嫌いが多くて食べる物がない人は、せめて胚芽を取ってしまった白米だけのご飯じゃなく、麦を一緒に炊いて食べましょう。

実行あるのみです!(自分に言ってる、、、?)

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愛情の深さは同じです

暑い暑い午後の昼下がり、自転車を走らせて韓国語教室に到着しました。

夏休みに何をしていますか?

子供達は?

そんな質問の延長線上で、”孫は可愛いというけど子供とは違いますか?”と外の生徒さんから聞かれました。

この質問は、子供達に”パパとママでどっちが好き?”と聞いているようなものです。

子供も孫も、可愛いいという事に変わりはありません。

感じる愛情も、深さは同じです。

何が違うかは、夫々への愛情の表現方法が違うだけです。

どうぞ、気づいてください。

親は、弟や妹だけを可愛がるとか、お兄ちゃんは特別扱いだとか、立場立場で見方が違います。

それは、愛情の違いがそうさせているのでは有りません。

表に出ている表現方法だけで、とやかく言うことではないですよね!

ただ、見た目の可愛さ仕草は幼い子供には敵いません。

でも、その可愛さは愛情とは違います。癒してくれる愛すべき者達ですけど、”可愛い”と”愛”は同じようで違うと思います。

同義語として質問する事は止めて下さい。

そこで、少し考えてみました。

子供と孫が同じ年で、今私が育てていると仮定して、、、

全く同じに育てます。可愛さも、愛情も同じです。

それ以外考えられません。

子供達が幼かった頃の可愛さ、愛しさ、、、

今の孫達と変わりはありません。

やっぱり、同じです。

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世の中は、天然オーブンの日々

今年の暑さは格別です。

まるで、天然のオーブンに入って生活しているような気持ちです。

扇風機も、エアコンも殆ど用無しの夏を過ごしてきましたが、今年はエアコンにも、扇風機にもお世話になっています。

施設にお願いしている母の所にも、父の墓参りにも行きませんでした。

母が口癖のように、「お墓参りは、お盆やお彼岸に限らず来れる時で良いよ。」

いつも、そう言ってくれるので、無理をしない事にしているのです。

母の事も、お墓の事も、弟夫婦にお願いしているので(義)妹にメールを入れると、電話をくれました。

暑さで移動する気になれないので、母の事などをお願いします。そして、我儘だけれど、PCボランティアのインターンと自主研修には出席してます。外のメンバーの足を引っ張りたくないので、、、、

そう書いて送ったので

電話での第一声は「大丈夫ですか?お姉さん!」でした。

母の事、墓参りの事、実家の御近所の事、子供達の事、自分の兄弟姉妹の事など、なかなか話は尽きません。

私より七歳年下の彼女にも、最近孫が生まれ、秋には次女の結婚を控え、長男が大学を卒業する年になり、共通の話題も多くなってきました。

妹は、まだまだ現役で働いていますし、長男の嫁の立場もありますし、色々な役目を背負ってくれています。

来春大学を卒業する長男が、「戻る気がないから、家はお姉ちゃん達の誰かに継いで貰って。」と言ってると気にかけていました。

「いいわよ、好きにさせてあげて、家を継いでくれる子が居なくてもそこに拘る事は無いじゃない?」

そういうと

「Sさん(夫)も同じことを言ってます。それで良いんですか?」

と、妹、、、

あまり性格的には合わない弟だけれど、根本は同じなのかな?と感心してしまいます。

夫に言わせると、「年齢が近いし住んでいる地域性も有るんじゃないかな。」と結論付けていました。

弟二人の私と、地方の旧家に生まれ、八人兄弟の末っ子として育った夫とは全く環境が違います。

結婚当初、夫から「お前は現代っ子だから、、、」と言われ続けた事を思い出しました。

私は、二歳違いの夫を「前世紀の遺物」と言って憚りませんでしたから。

いや~、よく持ちましたねえ。私達夫婦!

でも、今年の暑さには完敗でしょうか。悔しいけど。

天然オーブンの中で、焼き鳥になりそうです。(焼き豚とは言いたくありませんので、焼き鳥という事で、、、)

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梅雨の晴れ間の一時&爽やか中学生の一団

梅雨入り十日とは、良く言ったものです。

今日は、すっきりと晴れました。

この時期には珍しく、東京湾には富士山も、、、

う~ん(深呼吸)さわやか!

アメリカデイゴの咲き具合を楽しみに外出しました。

松風通りに差し掛かると、中学生の一団が自転車でどどっとやってきました。

男の子20~30人が、自転車で走り込んで来たという感じでした。

最後部に居た一人に、中学校の場所を聞かれました。

「反対側!、みんなそうなのっ?」と、先に進んでいる子供達を振り返って聞くと、

「お~い、○○反対側!」全員を止めました。

おお、良い統率力!

一つ通りを過ぎてしまい、反対方向に進んでいた彼らは一斉に又走り出して行きました。

「有難うございました。」爽やかな ありがとう を残して彼が去ると今度は、一番先に進んでいたと思われる一人が、彼らとは反対方向に歩き始めた私の背に「有難うございました。」とまた、爽やかな ありがとう を残して走り去って行きました。

当たり前の ありがとう だけど、その当たり前が爽やかに感じられるのは、なぜでしょう?

良いよ!今時の中学生!

Photo_12 アメリカデイゴは、まだ満開とはいかず少し遅れている?のかな?

海浜公園の通りには、松とアメリカデイゴが交互に植樹されていて、緑と赤のコントラストが鮮やかになります。

それからそれから、我が家のバックヤード?には、今年初めてお目見えした花があります。

Photo_13 スパイダーリリーです。

彼岸花の仲間で、南アフリカ原産のヒメノカリスの一種です。

背丈が一メートルにもなってしまい、予想外の高さです。

どうぞ、増えませんように、、、、

下は、市原市五井の住宅街で見つけたヤマホロシです。

Photo_14 駐車場のスクリーンのヤマホロシが、隣家の台所を覆うように咲き誇っています。

目の前の、ボックスショップでは20センチ位のヤマホロシの鉢植えが売られていました。

友人が、「ヤマホロシって?」と言うので

「あれが、そうよ!」と教えると

「あんなになっちゃうのー?」と驚いたきりでした。

(私も知らなかったの、ヤマホロシがあんなになるなんてね!)

うちのバルコニーのヤマホロシの行く末を案じています。あ~^^;

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千葉市は、目の不自由な方にもっと優しい配慮を!

千葉市の生涯学習者センターを出て歩き始めると、後ろからカタカタ、カタカタと音がついてきます。何の音なのか気になって振り返ってみると、白い杖を付いた方でした。

歩道は比較的広く、滑らかな路面です。でも、点字ブロックがありません。歩道と車道は、赤白に塗り分けられた杭で区切られていて、段差もありません。

健常者といわれる私達には、歩きやすい道路です。

信号があり道路を渡ったところで、その方は杭を見つけられずどんどん車道に出てゆきました。

戻って声を掛けました。

「左に寄ってください。そちらは車道です。」

「有難うございます。」そう言って戻っては、又車道に入ってしまいます。

「駅においでになりますか?」と聞くと、「はい、駅に行きます。」と答えられたので、「じゃあ、ご一緒しましょう。」と歩き始めました。

でも、初めての事で誘導が上手くできないのです。歩道に立てられた何本ものポールが行く手を阻んで、何度も「ポールがあります。」と声を掛けることになり、目の不自由な方には何と不親切な道路なんだろうと思いました。

階段では、手すりに誘導して手すりにつかまって歩いていただきました。

駅は、さすがに人が多く、肩をお貸ししてホームに上がりました。

私は、肩を貸すということすら思いつかず、腕を組んで歩こうとしました。

でも、そうではないんですよね。TVの映像では見たことがありましたけど、とっさには思いつきませんでした。

偶然降りる駅が同じで、利用するバスは一番違いでした。

その方を、無事バスに乗せ、私は夕食の食材を求めてスーパーに向かいました。

なんだかとっても切なくて、虚しくなりました。

政令指定都市千葉市

彼は、図書館に本を読んでもらいに、月に一度通っていると云われました。

図書館からJR千葉駅までは、徒歩で何分でもありません。

そこに、点字ブロックも無いなんて政令指定都市千葉市はお粗末過ぎます。

駅も、電車とホームとの間が微妙に空いていて怖いと思いました。

身体の不自由な方が、一人で外出できる環境を作って欲しいと思いました。PCもおやりになると言われましたので、かなり積極的に何かをなさっておいでなのでしょう。行政が、先ず手を差し伸べるべきでしょう。

せめて、安心して歩道を歩くことができるように。

そのくらいは、して欲しいですね。

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3月28日千葉市内の桜。車道をひた走る老人

今日(3月28日)の午後に撮影Sakura_20 した桜並木です。

私は、昨日の午後も桜を見にやって来ていた。

満開になり、やがて桜吹雪の中を通るとき、幽玄の世界に圧倒される場所なのだが、今年は蕾の数が少ないようだ。

その中でも、沢山花を咲かせている枝を写してみたが今年の花のつき具合は如何だろう?

          やがてPhoto_3 桜並木を過ぎ、駅から続く真っ直ぐな道に出た。

車の行き交う大きな通りだ。

交差点を左に折れ、海に向かう道を歩き始めた。

行き交う車に逆らうように、車道を走っている老人の姿が目に入った。

白髪の髪は肩まであった。痩せぎすの老人は、遠目には男女の判別はできなかった。

やがて、迫り来る車両に恐れをなしたか、今度は反対側の車線を走り始めていた。

途中、交番があるので、そこに人が居て見咎めてくれる事を願った。

ところが、難なく交番前を通り過ぎてしまった。

駄目か!そう思った時、老人は分離帯に入りポールに摑まっていた。

車を横道に入れた女性が言葉を掛け、手を引いて歩道に連れ戻していた。

探しに来た家族が、保護したのだろうと勝手に思った。

傍らを通り過ぎると、「お名前は?」と訪ねる女性の声。

「公園は、こっちじゃないですよ」と話していた。

海浜公園に行くつもりらしい事が分かり、そのことに関しては女性も納得していた。

けれども、私は引き返した。

足を止めずに、女性に交番を指し「行ってきます」と声を掛けた。

「お願いします」と返事が返って来た。

いつも、留守勝ちの交番ではあったが、今日は人影があることを確認して通り過ぎた。

交番には、留守番の男性が居た(最近導入された制度)。

事情を説明すると、駅前交番に連絡をしてくれ、おまわりさんが来てくれる事になった。

その間、女性は歩道を歩いて行くように老人を説得してくれていた。

彼女は仕事の途中だったそうで、その後、車に戻って行った。

私は、急いで後を追って行く事にした。

老人は、歩道を歩いたり車道に入ってみたりしながら海浜公園を目指しているようだった。

まもなく、パトカーが私を追い越して行った。

老人が居る辺りで左折した。

大通りに戻って、信号を越した位置で老人と話をしていた。

もう一台、パトカーが海の方角からやって来てこの現場を確認して走り去った。

私が、近づいて会釈をすると傍らに一人の警官が来てくれた。

「通報した者ですけど、もういいですね?」と声を掛けると、

少し言葉を交わしてから、「有難うございました」と言ってくれた。

その後、おまわりさんからの報告によると

「確かに、少しおかしい(そう言った後、言葉を選んで)、、、認知症のような部分もあるんですけど、住所も言えますし歩いて来るような距離でもないんですけど、<海浜公園に行って帰る>と言ってましたので、様子を見ると言っては変ですけど、まあ様子を見てみましょう。又、何かありましたら御協力ください」

と、言われた。

「お世話様でした。有難うございました。」と言って電話を切った。

80歳代のおじいさんだった。

決して清潔とは言えない風貌と、(そろそろ、捨てませんか?)と声を掛けたくなるようなボロ靴を履いていた。

何時間かかってやって来たのか?それに、家には何時に帰り着けるんだろう?

老害という言葉が頭を掠めた。

年は、自覚のないまま過ぎて行くのかも、、、、、

年を重ねる事の自覚を持って生きなければ、迷惑を掛ける事が多くなりそうだ。

でもおじいさんは、ただ海を見たかっただけなのかも知れないな。

たぶん、海を見たかったんだよ。きっとね。

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コメントを下さったHaruka様へのお礼。そして 友達の事、命の大切な事。

友を奪った骨髄性白血病にコメントを下さったHaruka様

有難うございました。お礼が大変遅くなりました事、お詫び申し上げます。

このブログが、Haruka様の目に留まることを願いながら書きます。

友人が逝って、2ヵ月半が過ぎました。

コメントのお礼というには、ちょっと違うかもしれません。

Haruka様個人宛てにではなく、読んでくださる皆様に命を粗末にしないで欲しいと言う気持ちを込めて書きたいと思います。

友人、知人、家族を失ってしまった者の悲しみや喪失感は、時も解決してくれません。

年が過ぎて、忘れられるかと言うと、決してそんな事はなく、悲しみの気持ちを吹き払う事はできません。

ですから、他人の命も、自分の命も大切にして欲しいと願う気持ちが強く働きます。

新聞やTVニュースの悲惨さを目にするに付け、心が塞ぎます。

私には、29歳の若さで自殺してしまった同級生(男子)がいました。

幼馴染の友達でした。

彼とは、私の結婚式直前に友人と3人で会う約束をしていました。

私は、時間の都合で、どうしても間に合いませんでした。

その後、会う機会がなく4年後に彼は、自殺しました。

悔しくてなりませんでした。

止めてやれなかった事が、悔しいのです。

幼い頃から、私も彼も絵を描く事が好きでした。

彼の絵は、細やかな筆使いが特徴でした。

私の絵は、大胆な筆使いが特徴で、全く対照的な性格の絵を描いていました。

その時の画風そのままに、彼は繊細さ故に自殺してしまい、私は気儘に人生を送っているという事になるのでしょうか?

自殺と言う行為を、誰も止めてやれなかった悔しさが、心に残ってしまっています。

生きていて欲しかったし、年を重ねて再会したかった。

「K君、絵を描いている?細い筆で、美しい絵を描いてる?」

「Rちゃんが、そっちに逝ったけど、、、。」

「あの時、Rちゃんと3人で会う約束してたよね。随分昔のことだけど、待っててくれたんですってね、ごめんなさい。」

「私は、まだこの世の人生を楽しませてもらうわ。」

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友を奪った骨髄性白血病 その2

年が明け”春、暖かくなったら近くにでも一緒に出かけてみない?”

私からの提案に嬉しそうに

(でも、私歩くのよぼよぼだよ。)と答えた。

その後、所用が重なり約束が果たせないでいるうちに、この私が鬼の霍乱で何ヶ月も特別な外出は控えてしまった。

ようやく九月の声を聞き、体調が戻ったところで連絡せずに彼女を訪ねた。

留守だった。

メモを残して帰宅した翌日、外出中に留守電が入っていた。

(8月15日から入院してました。今日は外泊の許可を貰って帰ってきました。又、電話します。)

それから半月後に退院したと連絡があった。

訪ねてみると、いきなり(痩せたんじゃない?)とびっくりして私を見た。

「大丈夫、病気じゃないから。ダイエットしたの。でも、もう少し落とさないとね。」そう言うと、

(もう、良いんじゃない、それ以上落とさなくても、、、)そう言ってくれた。

鬼の霍乱を期に、体を絞った私を一早く感じて心配してくれた。

(この間の一時帰宅は、これからの事もあるし整理をしに帰って来たのよ。)

準備に加速を掛けていた。

その後も、訪ねて行っては会えずに帰る日が増えた。

(もう、入院はこりごり、、、)と言っていたのに。

10月の終わりに会ったときには、貧血が酷かったので入院したと言った。

外の肝心な治療は、何もしてくれなかったとも言って不満そうにしていた。

もう、顔色も、唇の色も土気色で悲しかった。

夕方、自転車で帰る私に(気をつけて帰るんだよ)と妹にでも言うように言葉を掛けてくれた。

部屋の中は、片付いてはいなかったが「何かしてから帰ろうか?」と言う言葉が出なかった。

帰る道すがら、”これが最後かも知れない”そう感じた。

11月始め、ペヨンジュンさんの写真をファイルに収め訪ねてみた。

彼女の住む団地に着き、近くの小道に入った。

静まり返って、人一人見えない。その静けさが、私には不安だった。関係ないのに不安だった。

茶色いレンガ敷きの美しい道、なだらかな曲線を描いた道、ふりそそぐ陽の光も、総て静か過ぎて寂しかった。

彼女には会えなかった。

ファイルを郵便受けに入れて、メールを送った。

9月の退院後に、友人の勧めで携帯を持つようになっていた。

”今日は、留守だったわね。又入院したの?大丈夫?”

4~5日後、彼女からのメールが届いた。

(いつもありがとう。いまひょういんです。しんぱいしないで)最後に片手の絵文字が入っていた。手を振ってくれたのだろう。

そして、翌日(今日、ぺさんの写真をみました。たくさんありがとう。そとはきもちいいでしょうね。ではまた)そしてまた、片手の絵文字が入っていた。

ひらがなばかりのメールだった。びょういんもひょういんのままだった。是が、最後のメールとなった。

お姉さんから、初めて電話を頂いた後で出したメールは、開かれないままになっている。

妹さんに、<最後の頃は、携帯も重いって言ってました>と聞かされた。

入力した文字を、変換する力もなくなってると言うのに、、、

それでも、最後まで、頑張ってメールを送ってくれていた。

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友を奪った骨髄性白血病 その1

幼稚園の先生をしていた友達は、腰痛や膝の痛みは職業病としか思っていなかった筈。

二年前の年賀状にー4月から7月まで入院してましたーと、近況が綴られていた。

一月末、生活の喧騒も一段落したところで電話を掛けてみた。

「長い入院だったみたいだけど、治ったんでしょ?声も元気そうだし。」そういうと、

(空元気よ。)と、答え

(入院してても治る見込みがないから、諦めたの。)と、言った。

「、、、前向きに考えて、、、」と、言うと

(そう言われるのが、一番辛い。)と声を詰まらせた。

「、、、癌、なの?」

(そう。)

「今は、癌でも治ってる人が多いわよ。私の周りにも何人もいるし。」

(治ることは無いの。)

翌日、直ぐに会いに行った。

病名:骨髄性白血病

脊髄には、点々と病巣が広がっているのだと言った。

医師は、<今なら、まだ間に合うんだよ!今なんだよ>そう言って、入院を奨めたそうだが、彼女は自分で決断し、諦めたという。

お金が、掛かり過ぎると言った。

十数年前に子宮ガンの手術をした後は、就職ができなかったそうで、保育所で市の臨時雇いの仕事をしていたのだという。

入院を奨めた医師は、どんな治療を施す積もりだったのだろう?彼女の生活状況も、把握していただろうか?

退院後半年あまりが過ぎて、年賀状という媒体でしかも消極的な表現でしか知らせて来なかった。

初めて向き合って話した日。

(今、やっと、病気の事が話せるようになったの。あなたを薪能に誘った事があったでしょ?あの時は、子宮ガンの手術をして退院したばかりだったの。)

随分前の話であった。

50年以上も友達でいたけど、お互いに逢いたくなった時に会い、夫々全く違った環境の中で生きていた。共通の友達もいなかった。それでもお互いが親友だと思い、お互いを認めていた。変わった形の友達だった。

(あなたに会って、ほっとしたわ。私の友達は個性が強いから、、、やっと、普通の人に会えた。)そう言って、寂しそうに笑った。

(病気の事も、姉や妹に話すと先に泣かれるから、、、本当は、私の方が泣きたいのに。)そう言って、言葉を詰まらせた。

誰にも話さずに、毎日泣き暮れているんだろうと思うと胸が詰まった。

それなのに、思いっきり泣かせてあげる事ができなかった。

一緒に泣いてあげるべきだったのに、、、、

入院中に見ていたというTVドラマ、冬のソナタには随分慰められたと言った。

ペヨンジュンさんのHPから、写真や記事をプリントアウトして持って行ってあげると、とても喜んでくれた。冬のソナタの完全版を録画してあげた時には、お礼にとマフラーを編んで送ってくれた。ミニヨン巻ができる長さにしたと書き添えてあった。水色濃淡で表裏を編み分けてあり、ふんわりと優しく仕上がっていた。

(まだ、2~3年は生きられると思うから、閉じこもっていないでどんどん出かけようと思いの)そう言って、友達と広島に出かける事や、習い事の書道も続けていることなど、楽しんで生きることを考えていた。

私達の作品展<染色展>には、一人で見に来てくれた。

後日作品を持って訪ねると、殊更喜んでくれた。

それが、一年前の友人の姿だった。

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”ばらの里”に居る母

”ばらの里”は、私達姉弟が卒業した中学校の、すぐそばにあった。

私自身の体調不良もあって、母を訪ねたのは一年振りだった。

母は、三度も病院を転院させられた。だんだんと、交通の便が悪くなり、週三回から週二回、週一回と母を訪ねる回数も減った。

回数が減ったのは、母の容態が悪いなりに安定していた事も有ったのだが、、、、

そして、昨年の10月。

病院から”ばらの里”という施設に移った。

ばらの里に行く途中には、私の母校があった。歩いていると垣間見える校庭は、昔の儘の様に思えた。

校庭の80%を占めると言われていた芝生が、今も其の儘になっていた。私達の頃は、芝生の手入れは総て生徒がしていたが、今はどうなんだろう?

中学校を通り過ぎると、道路が左にカーブしていた。

そのカーブする場所に”ばらの里”があった。

母の体調が悪くなったと聞いていたが、一年前と変わらないように思えた。

入居者は、90歳位の老人が多いと母から聞いた。

脳梗塞で入院し、左半身が不自由になり、リハビリである程度は保たれていたが、途中でリハビリが中止された。

国の方針で、それ以上望めない患者は見放されたのだ。リハビリが中止されると、徐々に手足の不自由さが目立ってきた。

その後、緑内障の為に角膜移植までした目が、視力を失った。

そして、昨年夏には声が出にくい状態になった。

検査結果は異常なし。単なる老衰なのか?よく分からない。

二人の弟達の家族の事も、先ずは母から聞く。

耳を口元に寄せ、何度も聞き返す。そんな会話だ。

10日前に会いに行くと、「まだ、じいさんが迎えに来ないよ。」と言った。

「まだだよ。って言う事じゃないの?」と言って来た。

母が、じいさんと言うのが可笑しかった。

22年前に亡くなった父は68歳のままだ。86歳になった母を見たら、父は老いた姿に驚くんじゃないかと思ったのだが、、、

”ばらの里”に移ってから、スプーン使いが上手になっていた。

義妹から聞いてはいたのだが、人手不足が功を奏したようだ。

”ばらの里”には、いつまで居させてもらえるのだろうか?

おかあさんっ、ねっ!おかあさん!

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体調を気にして、ダイエット進行中

毎年二月に、基本健康診査を受けている。

過去二回、胸部レントゲンで、肋骨の下の一部分が脂肪で霞んでいた。

(体重を減らしてください)と、二回続けて注意を受けた。

娘のハヌルに、(お母さん、真剣に考えてないでしょ?)とやり込められ、

(そうなのよねえ)と、他人事のようにいい続けてきた。

ところが、今年のゴールデンウィークにトラブル発生!

体重が原因ではないのだが、血圧も高くなってたし、体を絞ろうと考えた。

そして、シンプルな決め事を作った。

1、大好きな有名パン屋さんの、バターをたっぷり練りこんだパンを主食にしない。

1、間食を、一切取らない。

1、三食しかっりとって、でも食べ過ぎない。

なんと、シンプルな計画だ!

生活の中で一番のネックは、夕食前にお腹が空いてしまう事。

その時には、お茶を飲むことにしている。

お茶は、何でも良い。黒豆茶、ほうじ茶、ハト麦茶、、、、

それから、夕食の時間を早めた。

これだけの決め事で、ゴールデンウィークから今日までで、5kg落ちた。

人生の先輩の一人が、専門家から指導を受けた時。

基本体重まで落とすと痩せ過ぎて見えるので、そこまでは落とさないように言われたそうだ。

別の方は、落としすぎたら他の検査結果に異常が出た。といわれた。

人、夫々だと思った。

私の場合は、体重と血圧に異常結果。

5キロ落とした今、キツキツだったGパンも、ウエストに適度な緩みが出て、気持ち良く体に沿っている。

血圧も、80-110に落ち着いている。

食欲の秋を乗り越えよう!

ダイエット中の皆さん、一緒に頑張りましょう!

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完治まで2ヶ月、肩~頭の痛み

ゴールデンウィーク直前から、左肩~左首~左後頭部の痛みに苦しんだ。

痛み止めだけの対処法では、気持ちの上では納得できなかった。

夜は、一時間おきに目が覚めた。

鏡の中の顔が、、、「あ~っ!」

「これって、病人の顔だよ~」大声で言いたかったけど、情けない声だった。

当然の様に、血圧も160位に達していた。

そうしているうちに、出先から引き返すほどの気分の悪さに見舞われた。

ホームドクターに、「整形外科に行きたいと思います。」と伝える。

「頚骨が真直ぐでも起こりうる症状ですが、それは、直す事はできませんねえ。」と、、、

頚骨は、みんな弓なりになっているものと思っていた。

私の場合は、頚骨が直線だった。

筋力が弱ってきて、支えられずに痛みに発展。

若い頃から肩こりが酷かったのは、頚骨の形状からだったとは思いもしなかった。

しかも、弱いのは左だけ。

ホームドクターは、「原因がわかってよかったですね」「筋力を付けて下さい」

そう言われても、整形外科でのリハビリには納得できかねたし、とほほ、、、

どうすれば、筋力がつく?

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