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2007年9月

七五三の日の着物(母親の装い)

七五三の子供の装いは、大体決まっています。

一番迷うのは、母親の装いかも知れません。

娘のハヌルは、母親としては二度目の七五三のお祝いとなります。

三歳のカウル姫と五歳のぽむちゃんのお祝いは、四年程前に一緒にしました。

その時の装いは、色無地の一つ紋でした

二人の子供達のお宮参りも、同じ色無地でした。

色無地と言う着物ですが、紋を付けてないものは普通の小紋と同等に扱われます。色無地でも紋付と紋無しでは、格が違ってしまうのです。

縫い上がった着物にも、紋は付けられますので、色無地なら一つ紋にしておくと重宝します。色無地は殆どが一つ紋です。縫い紋で良いでしょう。

今年のカウル姫の帯解きには、秋草模様の付け下げを着てもらう予定にしています。

私が、一度だけ着た付け下げですので、ハヌルには記憶がないかも知れません。

私には、二度着るチャンスはありませんでしたが、ようやく娘のハヌルが着る事になった付け下げです。

私もまた、秋草模様の付け下げを着ます。この着物も、いづれハヌルや息子の妻が着て呉れるでしょう。

着物は流行に左右されないものを選んでおくと、時代を経ても着る事ができます。

着物離れが進んだ今だからこそ、日本の着物の良さをもう一度見直して欲しいと思います。

着物は古典柄を選べば、長く着る事が出来ると言われます。

が、それは少し違います。

素材が古典的な物でも、デザインによるのです。

デザインや色遣いなど、時を経て受け入れられないものが有ります。

長く受け入れられるデザインは、品格も良いのです。

晴れの日の着物は、品と格を考えて着る事をお薦めします。

着物のもう一つの良さは、洋服のようにサイズを細分化しなくても良いと言う事です。そして、あまり流行を気にしなくて済みます。

着物は、非常に経済的な装いと言えます。

七五三の母親の装いで、着物を選ばれる方!

これから着るチャンスを増やしましょ!

着物大好き人間の<つぶやき>でした。(つ・ぶ・や・き?)

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馬喰町問屋街(2)ー帯解き用の帯小物の調達ー

今回の馬喰町行きは、<帯解き>用の帯小物の調達のためでした。

着物は、紫地に御殿毬模様です。

先ず、帯選びです。結び帯にするか、自由な形を作る為にはジュニア帯にするかで迷いました。

どちらを選んでも、一回限りのものです。

気に入った柄が有っても、化繊帯では締りが悪く落ちてしまいそうだし、絹の帯にしてもこの先締める機会があるとは思えません。

そこで、可愛い交織の作り帯に決めました。着物柄の御殿毬の色に合わせてピンク地の帯です。花柄に三色の飾り紐が結んである帯にしました。

バッグは、姫の好きな水色地の物を選びました。

帯も、バッグも着物の中の一色と合わせます。必ずどこかに同じ色の入っているものを選ぶと全体がまとまります。

全体にほんわかとした色調になりましたので、帯締め<はこせこ>の色で全体を引き締める事にしました。

不思議な物で、大昔の着物と現代の物が程良く調和しそうです。

足袋は、どんな形の足にも合いそうな口(くち)ゴムを選びました。

今回、私の担当者が変わりましたが、変わって又20代の青年でした。

ちょっと頼りないと感じましたが、いざと言う時には店長さんのアドバイスをもらう積りでした。それでも、なんとか決めました。

後は、私が長襦袢を仕立てて送るだけです。

が、やっぱり今回もやられました。

紋入れも、一度で済んだ事がなく夫々の担当者には、何か一抹の不安材料はあったのですが、、、、

カウル姫から「ありがとう」と電話が入りましたが、

「値段 付いてたよ」ですって!

いくら実の娘とは言え、値段付きでお祝いの品は送りませんよ!

ハヌルが「言おうか如何しようかと思ったけど、値段付きって請求書が来そうだよね!」と言うから

「アッ、送る?」と言ったら

「いえ、結構です。有難うございました。」と言われました。

問屋のお兄ちゃ~ん、やってくれるじゃないの~!

しっかりしてよね!

値段付きで送っちゃったの始めてよぉ!

姫が気に入ってくれたようだし、ハヌルの「すっごく可愛くてカウルが好きな色ばかり、、、」

と言う言葉に救われる思いでしたよ。

あ~、冷や汗もの、冷や汗もの、ふぅ~

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馬喰町問屋街(1)

馬喰町で、買い物をするようになって26年になります。

着付けを教えていた頃に、長襦袢地や、絹紐といった消耗品を買いに、友人に誘われるまま問屋街に行ってみたのです。

大阪から、業務の拡大を計って進出したばかりの呉服屋さんがありました。

当時としては珍しかったと思いますが、商売人は勿論、素人の私達も顧客として受け入れていました。

それから四半世紀の付き合いになります。

担当者も年々若くなり、今の担当者は未だ二十代の青年です。

昨日久しぶりに出かけてみると、若いと思っていた店長さんが、かなり老け込んで見えました。この時代に着物を買う人は減り続け、大変な時代です。

それでも、未だに続いているのですから大したものだと思います。

古き良き時代とは言い難いのですが、20年前の商売はバブルそのものでした。

ホテルで行われた展示販売場には、寿司職人をはじめとして色々な食職人を待機させていました。

呉服を買いに来たお客は、鮨を握って貰らうこともでき、他にも好きな食べ物を注文して食べる事もできました。これが、接待と言うものだったのでしょうか?

その後も、記念品として京都で作らせた食器や、オリジナルの品が年末年始にわたされました。

今にして思えば、すごい時代です。

友人や妹を連れて買いに行った時に、彼女達の購入額に対してのリベートが出ました。

<聞いてないよ~>状態でしたのでびっくりしました。

そういうシステムになっていると言われました。

それを貰ってしまうと、詐欺師になったようで嫌でしたので

<リベートは要らないから、安くしてやって下さい>と伝えると

<わかりました>と言いましたけど、リベートなどと言うものが出たのは、たぶんその時だけだったでしょう。

その後、どんどん着物離れが進み、購買力は下降線を辿るばかりです。記念品の一つも出ませんが、必要な物なら兎も角記念品は要りません。

呉服は特に、小売値の張る品物が多く、問屋さん以外では買う気になりません。上代価格の数字を見るとぞっとします。

ですので、気の置けない人だけを問屋さんに連れて行く事にしています。

何故、気の置けない人だけかと言いますと、

当世は、着物を知らない人が多く、本当に良かったと思ってくれているかどうかが分かりません。ですので、知人と言うだけでは紹介できないのです。

最近、一番嬉しかった事は、2年前に妹(義妹)が買った加賀友禅の黒留袖です。私が本当に欲しいと思った逸品でした。

良いものは、一見して誰にでもわかります。

娘を嫁がせる妹の留袖姿を見て、満足感に浸りました。(笑)

その時の担当者ですが、初見参では人参色の髪をしていました。

似合えば何色の髪でも良いのですが、まったく似合わないのです。こんなセンスの担当者では先が思いやられると、溜息ものでした。

そんな気持ちを察知したのか、店長さんがさりげなく?それとも懸命に?フォローしていました。

親しくなったら、感想を言ってあげようと思っていたのに、二回目に会った時には黒髪になっていました。

そんな人参色の髪のお兄ちゃんも、まだどこかの支店で頑張っているようです。

きつい事ですが、好きな色が似合う色ではなかったと言う典型的なセンスのお兄ちゃんでした。

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七五三のお祝い、着物について(3)

七歳は、女の子の<帯解き>です。

今では、貸衣装が主体で自前の衣装でする方が減りました。

着物は、手入れが大変で保存場所にも困ると言う事から、手軽な貸衣装が増えているようです。

近頃では、貸衣装から着付けそして記念写真まで、セットで売り出しているようで、バラエティに富んだ衣装が多く見られます。

今年の我が家は、孫娘の<帯解き>です。

Dscf2153_25 昭和二十年代末に、私が着た金紗縮緬の着物を着せようと思っています。

紫の地に御殿毬の可愛い着物です。

昔の着物ですから、子供に似合う柄ですが、帯や小物を調達するのに不安があります。

この着物は、娘のハヌルと友人のお嬢さんも着ました。

ハヌルは勿論ですが、友人のお嬢さんも昨年ママになったと聞いています。

日本中がまだ貧しかった時代だったでしょう。私の母が選んでくれた着物です。順調な成長を願う、親の気持ちが伝わってきます。

明日は、馬喰町の問屋さんまで行ってきます。

着物以外の物を調達しに行きます。

友達に借りる約束をしていたのですが、実家で既に処分してしまっていたようです。貸衣装の安い八月に、記念撮影を済ませたと言っていました。やはり他の人を、当てにしてはいけないと言う事なのでしょうか、、、、

数え年の三歳、五歳、七歳にする習わしですが、、、

お祝いの着物は、母親の実家が準備をします。

と、まあ、そんな古い習慣を守ることもないのでしょうが、娘の立場も一応考えて、七五三最後の<帯解き>の準備にかかります。

息子のパラムは、神社に行く途中でてんとう虫を見つけ、神主さんが祝詞をあげ、その後お祓いを受けている間中、手のひらに乗せたてんとう虫を転がして遊んでいました。

娘のハヌルは、喜んで着た振袖でしたが、お参りを済ませ家に着くなり「脱ぐ!脱ぐ!脱ぐ!」と言いながら走りこんでいました。

今年のカウル姫は、どうなるんでしょう?

何枚も着物を着せられて、いっぱい飾りをつけられて、やっぱり最初は嬉しいでしょうけど、、、帯解き以来着物が嫌いになる子がいると聞いた事がありますから、要注意ですね!

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七五三のお祝い、着物について(2)

七五三のお祝いで、五歳の男の子のお祝いを<袴の儀>と言います。

黒羽二重、熨斗目模様でお対仕立てになっている長着と羽織、袴に白足袋が正式な装いとされているようです。

息子の<袴の儀>は三十年も前です。

正装ではなく、質素な着物と袴それに刀を差したスタイルを考えました。

着物は、木綿の久留米絣で母に仕立ててもらいました。

当時、久留米絣の需要が急激に減りはじめ、機の糸を切り廃業が進んでいる時代でした。

既に、入手困難な時代になっていましたが、息子の着物を仕立てるだけの手持ちがあるからと、母が仕立ててくれました。

袴は、困りました。

呉服屋さんに行って、袴の仕立てを頼もうとしましたが高価すぎて諦めました。

刀は、知り合いの玩具屋さんに頼んで、問屋さんから買って来てもらいました。

刀は小さくても玩具ではないのだそうです。

後に、息子が刀を気に入って玩具にして遊んでいました。

そして、飾り紐を解いてしまった為に、二度と結べなくなってしまいました。

玩具屋さんの計らいで、刀は入手できることになったのですが、、、

<でも、袴はどうしよう?>と、、、

相談する積りもなく言った言葉に、「剣道用の袴にしたらいいんじゃない?」と即答してくれた玩具屋さんでした。

もうそれはそれは、目から鱗の気持ちでした。

その足で、スポーツ用品のお店に行き、一番小さいサイズの袴を取り寄せて貰う事にしました。

それでも、息子にはまだ大きすぎて、揚げを沢山取った覚えがあります。

後にこの袴は、息子が小学一年生で剣道を始めた時に役立っています。

剣道袴を注文した時に、お店の方には「踊り袴もありますよ。」と言われたのですが、何故か剣道袴を注文していました。

今、息子は多忙な仕事の合間を縫うようにして、子供達の剣道を見てやったいるようです。

なにか不思議な因縁を感じます。

当時、玩具屋さんが知り合いだったお陰で、刀も袴も思い描いたものを身に付けさせる事ができました。

その後息子は、木綿絣に綿袴それに刀と言うスタイルが気に入って、娘の<帯解き>のお参りにもそのスタイルで一緒に行きました。

孫のぽむちゃんも、そんなスタイルをハヌルと一緒に考えていたのですが、結局、正装でお参りしました。

双方のコミュニケーションが上手く取れてなかった様で、もう一方からノーと言われたと勘違いして、ぽむちゃんの<袴の儀>は、正装になりました。

それはそれで、可愛く凛々しい<袴の儀>姿でした。

(次のブログでは、帯解きについて書きます)

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七五三のお祝いの謂れ、着物について(1)

七五三のシーズンがやってきます。

まだ九月ですが、予定の日取りや準備に気が急くご家庭もあるでしょう。

七五三のお祝いは、親が子供の成長を祝う習俗です。我が家では、昔ながらに地域の氏神様にお参りをしました。

現在では、有名な神社に参詣するご家庭も多いようですね。

三歳は、「髪置」(=かみおき)と言い女児のお祝いです。

五歳は、男児のお祝いで「袴着」(=はかまぎ)と言います。

七歳は、女児の「帯解」(=おびとき)で、「紐落」(=ひもおとし)の言い方もあるようです。

七五三は、11月15日に行われる習俗ですが、七五三の名で庶民が盛んにお祝いするようになったのは、明治時代の東京だそうです。

そんな理由からでしょうか?

七五三は、関西よりも関東の方が盛んだと大阪出身の友達に聞いたことがあります。関西の十三参りのお祝いは、関東では聞きません。

私の実家では、総領(ここでは最初に生まれた子)の七歳のお祝いは結婚式並にしました。親戚一同が介し、ご近所さんも招待して、大変豪華なお披露目をします。地域内には、今でもそういう習慣があるようです。

又、地方によってはお祝いをする年齢もこの限りではなく、お参りをする日も違うようです。

今年は、カウル姫の「帯解」のお祝いを予定しています。

11月15日には拘らずにやる予定のようですが、、、、

子供達が成長するにつれ、予定が立て込み、日を決定するのにも調整に苦労するようです。

カウル姫「髪置」の祝いに着た着物です。

Photo 娘のハヌルが、結婚式の披露宴で着た振袖と、同じ型紙を使って染めた型染めの祝い着です。

この着物は、元は産着です。

産着に少し手を加えると、三歳の祝い着にできるのです。カウル姫お気に入りの祝い着となりました。

ハヌルの振袖も、並べてみます。

Photo_2 育てていた花や、近所で見かけた花をスケッチし、本のページからアレンジしたりしてデザインした振袖でした。

<気に入ったら着る>と言ったハヌルが喜んでくれた振袖です。

彫った型紙は、8枚だったでしょうか。

仮縫いをして、型を置いて、、、、染めて、、、糊を落として、、、、

仕立ては、和裁の先生をしている友人にお願いしました。

技術的には、アップにできないほど未熟な染めなのですが、、、

(次のブログは、我が家の男の子の祝い着について書きます)

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カルチャー教室は、和気あいあい

月に二回の、韓国語教室

楽し~い時間です。

もう少し頑張ってみようとか、お互いが切磋琢磨して話せるようになろうとか、なんてね!

ちっとも無いんです。

楽しい時間を過ごし、少しだけ身につけば良いかなあ、なんてね!

そんなんで、いつもほんわかムードなんです。

今日、カルチャースクールに到着すると、先生は何方かとお話の最中でした。

<アンニョンハセヨー?>

先生と挨拶を交わして通り過ぎようとすると

<キダリセヨー> (待ってて下さい)と教室を指されました。

お相手は、新任の店長さんだったようです。

先生は、始まりの時間を五分程過ぎて入って来て、

挨拶もそこそこに、

<ヨロブン、、、> (=みなさん、、、)という第一声、、、

何を話し出すのかと思いきや、

<トンサ(動詞)、クァゴ(過去)、、、>と言いながら

ハングルを書き出しました。

慌てて、私達も書き始めたのですが

「先生、私達未だスイッチ入ってません」一人が言うと、

<スイッチ入ってたの、私だけ?>と笑い始め、全員(=でもたったの四人)涙が出るほど笑ってしまいました。

いつもは、連休に何をしたか?何処かに出かけたか?

韓国語を交えて歓談してから始まるのですが、、、、

「ヨロブン(皆さん)って始まったから、韓国語の時間が変わるとかそんな話が出るのかと思っていたら、、、いきなりで、、、スイッチがまだでした。」の言葉に

<時間が遅れたから、、、>と笑い出しましたが、授業はそのまま続けられました。

授業の合間に、韓国の食べ物の話が出ました。

ミスカル(先生はミシッカルと言うそうです)を急に食べたくなって、お母様にお願いして送って貰ったのだそうです。

次の時間に、作って持って来て下さる事になりました。

お母様手作りのミスカルです。

玄米など何種類かの穀物を炊いて、乾燥させて、粉にしてと大変時間も手間もかかる物だそうです。先生ご自身も、そんなに時間のかかるものだとは思って無く、

「すぐには送れないから、待ってって、、、」と言われて初めて知ったようです。手作りしなくても、ミスカルはスーパーに売っているようですが、お母様手作りのミスカルが一番なんですね。

韓国語辞典で調べると、麦こがしのような物と書いてありました。

麦こがしは、何十年か前に夫の姉が珍しい物を作ってあげると言って食べさせてくれました。当時は、口に合いませんでしたが今頂いたらどうでしょうか?

日本では、美容食として自然食品のお店などで売られているのかも知れません。韓国料理の食材店にはミスカルはあるようです。

ミスカルは、水で練って食べる韓国の夏の食べ物のようです。

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学校から届いたプリント(小学二年生)

小学二年生が、学校から持ち帰ったプリントには

”サッカー以外に何の運動も出来ない子が居る”

と言った厳しいご指摘があったそうです。

アグレッシブなサッカーのママ友達が

「学校って、サッカー部に喧嘩(を)売ってる?」と笑顔で言葉を交わしたそうです。

「サッカー以外の運動って何?」と聞くと

「鉄棒とか、縄飛とか、水泳とか、、、」とハヌル

「あ~、 ドンピシャじゃない!」と言うと

「そう、ドンピシャ!」と言う答えが返ってきました。

先生方!少し考えてみませんか?

子供達は、まだ二年生です。

運動の苦手な子は、他にもいるでしょ?

サッカーをしている子は、幼稚園の年中位から3~4年かけて上手になったんです。

何故、幼いころからサッカーを始めさせたのか?

プロのサッカー選手にしたいからだと思いますか?

そこまでいかなくても、サッカーが上手くなって欲しいからだとお考えですか?

そういう考えの親は、素人のパパさん達がコーチをしているチームには入れせん。

運動の苦手な子が、親達がコーチをしているチームで遊びから始めて、上手になったんです。

サッカー以外の運動ができないのではなく、サッカーだけは、3~4年かけて上手にできるようになった子供達なんです。

ぽむちゃんですが

Dscf2143 何でも、完全にできないと納得しない子です。

鉄棒が上手くできなかったり、なわとびの二重とびが出来なかったり、水泳で水が怖かったりと、できないと思ってしまうと前に進めない子です。

そのジレンマで、悔しいといって泣き出します。

その都度、ハヌルは自分なりのアイディアでクリアしてきているようです。勿論、クラス担任とのコミュニケーションを大事にして双方の協力で育てているようですが、、、

最近は水泳教室に通い始め、プールに入るのを拒んでいたぽむちゃんでしたが、「今一番水泳が楽しいみたいよ!」とハヌルから聞きました。

先生!誰のせいですか?

運動のできない子も、勉強のできない子も、教え方次第だとは思いませんか?

先生方も苦手を克服して、子供達に上手に教えられるように努力して下さい。

もし、すべてを親のせいにする先生と、すべて学校のせいにする親とで、子供を教育し育てているとしたら、子供達は不幸です。

誰かのせいにないで、きちんと子供達と向き合って下さい。

親達も!先生方も!

(写真は、サッカー練習に出かける直前に、庭で捕まえたバッタを手にしているぽむちゃんです)

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飾りじゃないのよ!総理大臣は!

実力のない者に、期待を掛けてしまった残酷さの現われが、安倍総理の例ではないかと思いました。

消化器系の病気という事も聞きましたが、昨日の首相退陣の記者会見での声は、泣き声のように聞こえました。

一年という短命内閣は、自爆のような散り方をしました。

安倍さんは人気者ではあったけれど、総理としては期待されていなかったような気がします。

小泉さんと誰かさんの繋ぎの総理とも言われ、それに関しては予想は裏切りませんでしたが、それで良かったのでしょうか?

無責任な選びかたですよね。

庶民生活を実感できないお坊ちゃんには、最初からチグハグ感を感じていました。

当選から13年で総理になったようですけど、血筋だけでなれるものでもないし、なってはいけないのが総理大臣というものでしょう。

<美しい国日本>というキャッチフレーズを聞いた時、少しは持っていた期待感は全く消えました。

内閣に呼び集めたお友達は、揃いも揃って悪(わる)で品行に難有りと言うオバカばかり。

お坊ちゃんはお友達選びができないようで、世の中の子育ての縮図を見ているようでした。

嘗ての、お殿様総理も官僚の協力が得られなかったのか<や~めた!>とばかりに、突然辞めて世間をびっくりさせました。

<殿>そのもので、先ずファッションから入り、プロンプター(当時は高価な物だったようです)を初めて使ってみたりと、本筋以外で話題を作ってしまう人でした。

今は、政治からは手を引いて、作陶を楽しんだりとすっかり民の生活の事は忘れ、一人生活を楽しんでいるように伺えます。

鳩山(兄)にも、同じような印象を持っています。

何党の時だったか忘れましたが、党首だった時代です。

選挙での党のキャッチフレーズを見た時に、本当に何を考えて政治に携わろうとしているのかと思いました。

宝塚?それとも少女小説の題名?ふざけないで!

もしかして、女性狙いだったら見下しすぎよ!と思いました。

お坊ちゃま育ちの政治家達は、女性に媚びてる積りでしょうが、現代に生きる女性達の心を掴んではいません。

女性の心を掴みたかったら、先ず庶民の生活を実感することです。

残念ですね、特に安倍さんは北朝鮮の拉致被害者の為に頑張って下さってましたのに。

総理になる前に、とにかく何か一つ成し遂げて欲しかったですね。

これからは、専門と言えるものをしっかりもって、国民の為に力を注いで下さい。安倍さんも、議員の皆様も、、、

安倍さんは、細川さんのように逃げ出さないで、国民の為に政治家としての自信をつけて、いつか総理としてカムバックして欲しいものです。政治家としての使命を感じているなら。

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団地っ子のふる里

8月、お盆休みの頃のショッピングセンターは、いつもの3~4倍の人で混雑していました。確か、お正月も凄い人出だったと思い出しました。

みんな田舎に帰らなくなったのか?お土産を買ってこれから出かけるのか?

そう思った後で、はたと思い当たったのです。

私達世代以上が、この地に定住したのです。そして、成長し巣立っていった子供達が、家族を連れて帰って来ていたのです。

娘のハヌルが、「友達のところでも、親がこの辺に住んでいるらしいよ。引っ越しても近くの分譲を買ったりして、今でも住んでる人が多いんだって!」そう言う情報が入っていました。

団地っ子と言われる団地育ちの子供達には、ふる里がないとよく言われていました。

団地っ子の親達が、団地周辺に定住した事でふる里はできました。

我が家でも転居を考えた時に、子供達にふる里を残してやろうと思ったのです。

そして、当時の住所から徒歩5分の風の街に転居しました

住宅街も、5階建ての集合住宅が多い中に高層の大規模マンションがずいぶん増えました。

ここ、風の街も大規模マンション群の一つです。

今住んでいる『区』は、発展途上であり住宅地やオフィス街として企画されていたところが、どんどん出来上がり今も増殖中という事を考えると、想定内の変化と言えるのでしょうか。

そんな変化も含めて、団地っ子のふる里ここに有りと言ったところでしょう。

駅周辺の商業地には、高層マンションが未だに建ち続けています。

そんな喧騒から逃れたいと、目の前に建築中のマンション(駅前の大規模高層マンション)ではなく、ここ風の街に決めました。

海が見え、富士山を望み、目の前には公園がありと、本当の自然にはなかなかお目にかかれない場所で得た住み心地の良い所です。

風の街の住人には、我が家のように近隣の団地から移り住んで来た方が多いようです。住み慣れた街が一番なのかも知れません。

人口も増え、若い人から老人まで、実に様々な老若男女それぞれのライフスタイルを見かける事ができる街です。

その中で、以前に益して熟年男性の姿をスーパーで見かける事が多くなりました。

リタイアした世の男性が、積極的に街に繰り出して来たのかも知れません。

お出かけの帰りなのか、リュックを背負いウェストポーチを身に着け、食材を買って帰る人を多く見かけます。

生活を楽しんでいる様子に、心が和みます。

団地っ子達の、良いふる里として定着させたいと思う今です。

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友達

友達が、マンションから庭付きの家に移りました。

子育てしながらでは、苦手な庭作りもできないと嘆いています。

引っ越してから、7か月にもなります。

カルチャー教室に行く道筋に住んでいますので、必ず家の前を通ります。と云うより、道を選んで通ります。

何もしてない庭に、草が伸び始めると気になって仕方がありませんでした。

草丈がだいぶ伸びた頃、幼稚園のお迎えに出ていた友人を見つけました。

「庭に植えるものを持って行ってあげるから、草を抜いておいて!」というと、「あっ、すみません。すぐに伸びちゃうんですよ。」

「あのままにして置いたら、もっと大変なことになるわよ。」

「やって置きます。」

そんな会話をしてから、4か月も過ぎてしまいました。

暑くて、庭いじりなどできる状態ではありませんでしたもの。

彼女は友達ですが、かなり年の離れた友達です。

3年前彼女が入院した時に、病室でお会いした先生に

「お母さんですか?」と聞かれました。

「違いますけど、お母さんみたいな者です。」と笑って答えると、先生も笑っていましたが、彼女はすかさず、『友達です。』と答えました。

ですから、私達は友達です。

娘のハヌルに「お母さん、よく年の離れた人と気が合うわね!」

と、言われた事がありましたけど、気が合うかどうかは年齢では無い様に思います。

彼女は、『友達です!』ときっぱり紹介してくれましたけど、私を年長者としてけじめをもって接してくれています。

育ちの良さが感じられる、若いお母さんです。

二週間前に家の前を通った時には、まだ何にもなかった庭に、ご主人の手作りらしいデッキが出来上がっていました。

マンションから持って行ったウッドデッキを利用した物だそうです。

まだ暑い夏の終わりに、御主人の日曜大工の作品がしっかりと出来上がっていました。

庭の大半は、芝生にするという事なので、私はハーブを数種類持って行ってあげる事にしました。

強くて役に立って、香りのよいハーブは、庭いじりの苦手な彼女にはぴったりの植物です。

「お彼岸過ぎに、株分けして持ってくるわね。」と、言うと

「いいえ、こちらから行きますから。」

そう言った後で、

「韓国語の結果は、もう分りました?」と聞かれ

「一応合格したけど、5級も4級も受験者の大半が合格してるのよ。」

というと、「それでも、すごいですね。」と言ってくれ、厭味がないから素直に嬉しいと感じます。

ハングル検定は、3級となると合格率は30%にまで激減するようですから、しばらくは受験もできません。

その前に、先ずは友達の庭造りを手伝うとしましょう。

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カラスの仕業?

ここ二日ばかり、自転車は自転車置き場に置いたままでした。

自転車の前も通らなかったし、どんな状態になっているのかさえ気に掛けてもいませんでした。

それが、今日の事です。

買い物に出かけようと行ってみると、自転車は子供を乗せるクッション部分が引き裂かれ、中のスポンジが散乱していました。鋭いものでつついたような跡も無数に残っていました。

カラスの仕業?

そうは思ったものの、『もしかして私は誰かに恨まれているのかしら?』

考えると不安で、スーパーでの買い物も早々に切り上げて、帰りがけに交番に寄ってみました。

引き裂かれた状態を見て下さって、お巡りさんが分析されました。

「これが恨みでやったとしたら、大分良心的ですよ。」

えっ?と怪訝な顔をする私に

「奥さんが、もし憎らしい奴を困らせるとしたら、もっと酷いことをやるでしょ?サドルを切るとか、パンクさせるとか、ハンドルを使えなくするとか、ね。」

(ああ、そうなんだあ!)

(お巡りさんは、やっぱりプロなのねえ。)

ちょっと、安心しました。

やっぱり、カラスの仕業なのでしょう。

ちょっとばかり、人を疑ったりしてごめんなさい。m(--)m

たぶん、カラスですよね!?

夫は、職場に置いた自転車のサドルを突かれた事があったそうです。

カラスって、近くで見ると結構大きくて怖いんです。

朝の渋谷で、ゴミバケツを漁っていたカラスは、そんなに大きいと思わなかったけど、風の街周辺には大きいカラスがいるんです。

それとも渋谷のカラスは、おじさんが一緒にバケツをのぞいていたから大きく見えなかったのかなあ?

目の高さに止まっているカラスを見た時に、怖いと思ったんです。

利口なだけに凄味があります。

そう云えば、アッホオー、アッホオーと鳴いてた烏の声を最近聞かなくなったけど、どうしたんだろう?

<カラスって、本当にアホー、アホー言うんだあ>

と感心していたんだけど。

どこかから運んできたオカラを、トンっとバルコニーの手摺にのっけて行った奴も居たし。

いたずらカラスの帰る家は、今はお山じゃないみたいです。

カラスの餌は、住宅街にどっさり有りますからね!

カラスには、気をつけましょう!!!!

???でも、どうすれば良いのかな???

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